2021/11/28(日)第5回讃岐城跡巡り 爺神城・詫間城・仁尾城

2021年11月28日(日)第5回讃岐城跡巡り(高瀬、詫間、仁尾)

CL:T下 参加者:M田ア、S々原、Y関、S上ハ、Y田、T田、O谷、Y津、T田、Mミ、計11名

≪行動≫

JA高瀬集合8:30出発―爺神城跡登山口8:44‥・爺神城跡9:05/9:30‥・爺神城跡登山口9:37→蓮台寺9:54‥・居館跡散策‥・蓮台寺10:25→宗吉瓦窯跡(宗吉かわらの里展示館)10:30/11/15→詫間城跡11:30/11:40→リード・ランチタイム11:50/13:30

→仁尾・藤田水産13:47/14:20→仁尾歴史散策・仁尾城跡(覚城院)15:07/15:15→

金光寺15:20‥・常徳寺15:30‥・鴨神社15:55~反省会→JA高瀬着16:15

≪内容≫

里山・散策の城跡巡りとして今回は三豊地域の散策となりました。今回が5回目であり、どんな歴史秘話を聞けるのかとても楽しみにして参加しました。天候は朝から冷たい空気が漂う好天でした。肌寒い空気を感じつつも車からみた爺神山(とかみやま)は砕石されており元の形がちょっと想像しがたい様子でした。しかし爺神山城跡登山口周辺には山を周遊できる道が整備され散策する一般の方々もいらっしゃる様子で、地元の人が日常的に歩いている所だなと感じました。登山口駐車場には讃岐7富士バレンタインの山214mと記された道標が立てられていました。公式には227mですが、これも一つの地域おこし?山頂に2月14日をイメージしたシンボルが建てられ、青空に映えていました。登っている間もまだ空地は冷たいけれど雲がなく景色が澄んで見えました。

地元の人がよく歩いているのか道は細いですが整備されていました。山頂は広くありませんでしたが城が築かれていたであろうと感じられる平坦な部分がありました。

周辺にはさえぎる建物がなくとても見晴らしがよく周囲360度を眺める事が出来ました。讃岐七富士‘高瀬富士’と呼ばれ城主は詫間弾正という人だったという事で、リーダーの説明を聞きこの後の詫間弾正氏の足跡をさがす道への期待を感じました。この山は鈴石が採れるとリーダーの話がありました。今回は見つけることはできませんでしたが、「ひょっとしたら鈴石があるかも。」と思いつつ歩きました。里山は高度は低くても傾斜が急なところもよくあります。爺神山の傾斜はさほどきつくはありませんでしたが、滑らないように注意しながら下山しました。ここなら日常のちょっとした隙間時間にでも山を体感できるなぁと感じた山でした。

この後、詫間弾正の跡を探して蓮台寺へ行きました。蓮台寺は詫間の田園部のとても整備された住宅地にありました。

蓮台寺周辺に詫間姓の檀家が6戸あり、お寺の近くにある千代杉神社に詫間弾正景長を祀った墓碑がありました。どのお宅も草もなくきれいに庭などの手入れをされていて、車で通過するだけではわからない地元の風を感じました。丁度私たち以外に訪れる人はいませんでしたが、お寺や石碑には存在感がありました。地区の家々の間のあぜ道を私達老若男女で歩き、其七の子孫である詫間さんと言う家の間のスペースに城主の次男・梅丸を祀った「梅丸社」がありました。また蓮台寺の北側、ちょっと離れたところに居館跡とされる『おどい』という家がありそこの裏手に古い上部が風化で失った五輪塔がありました。五輪塔は上から(空、風、火、水、地)を意味すると聞き、忘れてはいけないと記録に残しました。詫間弾正は馬に乗っていた際に馬が瓜のつるに足をとられて倒れてしまい敵に打ち取られたそうです。そのため今も弾正の命日には詫間一族が祭りを行ない爺神城落城の7月7日には詫間一族は瓜などのつるのある食物を食べないようにしているそうです。三豊の静かな農村地域にこのような歴史があり、現在に引き継がれている事にとてもびっくりしました。

このあと宗吉瓦窯跡という宗吉かわらの里展示館という施設に行きました。

 

624年に建設されたとする藤原宮の瓦に宗吉の土でできた瓦が使われたという事でした。施設内で説明ビデオでの学習を行ない瓦を焼いた窯跡の見学をしました。

そして詫間城の跡地を詫間町内の農村地域にある小高い丘?のような山を見学しました。

この頃には元気な私達は、空腹を感じ詫間高専から大浜へ行く道をドライブしお待ちかねのお昼のランチタイム『スローレストラン、リード』へ行きました。さすがT下リーダーが選んだ隠れ家的な立地のレストランでした。スープがとてもおいしく、

 

しかもグループの強み?メインの2種類のパスタを各テーブルでシェアして食べました。

予定時間をオーバーしましたが野菜沢山のパスタで楽しくおしゃべりができました。

空腹が満たされた後、仁尾町の藤田水産へ行くとお店の方が格安水産品を出してくれ皆思い思いに買い物をしました。

そこから仁尾町へ行きました。仁尾町は海辺の町で塩田もあったそうです。金毘羅灯篭が民家のすぐ近くにありながらも

当時の町の華やかさを伺う事ができ、

仁尾町は海からの入り口とした経済拠点として相当栄えたのだろうと感じる事が出来ました。

リーダーから配られた資料には仁尾町内を'仁尾古町´とネーミングされ、てくてく歩いて番所跡から本陣跡の大きなお屋敷などを回り、最近できたというおぼろ豆腐専門店で豆腐を買い、

 

無料のおからを分けてもらいました。

仁尾城跡は覚城院というお寺の中にありました。覚城院は立派な石垣の上にあります。

城が落城したのちに覚城寺が移り住み今日に至るそうです。また長曾我部元親の侵攻を受けた、城主細川頼弘は、3月3日に攻め入られ雛飾りの後ろに隠れていたところを見つけられ殺されたと言われ、それ以降仁尾では3月3日のひな祭りは行わず、8月のうま節句と一緒に女の子の節句をおこない現在では仁尾八朔人形祭りとして扱われているそうです。最後に立ち寄った鴨神社には海から運び込んだとても大きな岩を一対で立て、しめ縄を渡らせてありました。その岩にはカキの貝殻の一部が付着し、岩が海から運ばれたことを意味するのだと本日の参加者で唯一の詫間町出身であるO谷さんも話してくださいました。大きな岩を運搬した昔の人々の労苦や皆で一つの事を成し遂げる仲間意識を思い「なるほど!」と感動を覚えました。けっして今日山登りをしたことを忘れたとは言いませんが、地域の中を歩くとそこに住む人に触れたような気がするので、私は町歩きも結構好きです。‘百聞は一見にしかず’リーダーのガイドを受けながら実際に現地を見て触れることは、とても贅沢で分かりやすく理解が深まるひとときでした。あぜ道を歩き田んぼの中の石碑を見たり、町の中を闊歩したり本当に良い社会科見学をしたという満足の一日を過ごすことができました。

この日のために綿密な情報収集、資料作成をしてくださったT下リーダーさんありがとうございました。T下リーダーの歴史秘話は素晴らしい!次回も絶対参加しまーす。皆さんお疲れさまでした。

経費:330円                         (記:Mミ)