2022/3/27(日)角山~鎌田池ー塩田で栄えた坂出の発見・真水LINEを辿ってー

2022.3.27(日) 角山~鎌田池―塩田で栄えた坂出の発見・真水LINEを辿ってー

参加者  CL:T中 SL:Y田 会計:T口ア 医務:M森 記録:T田

     T田、S原、Y木、T永昌、 一般参加者:W辺、K田     計12名

《行程》  坂出IC集合 8:00―角山登山口 8:45―久米翁汐見台 8:55―角山頂上 9:15―水源地(大堀)10:00―八幡神社 10:20―ビリケ井戸 10:25―<本街道> 地蔵もち 11:00― 旧岸壁の石積み跡 ―11:10 地神社<昼食> 11:40―坂出市郷土資料館(通過)11:45―12:00 鎌田郷土博物館<久米通賢を学ぶ> 12:35―香風園 ―12:55 鎌田醤油画資料館 ―13:05 四谷シモン人形館(淡翁荘)13:20― 鎌田醤油直売所<醤油アイス>―14:05 薬師の井戸・薬師如来、役行者参拝 14:20―笠指の井戸 14:30―14:55 鎌田池<桜・お花見> 15:15―坂出IC解散 15:30

《内容》

前日の悪天候と打って変わり、今日は青空の広がるハイキング日和です。CLの歴史・地理の解説とともに出発します。今回は4月入会予定の新入会員1名の参加があり、にぎやかに和やかな山行となりました。

角山(つのやま)の頂上からは展望がよく坂出市内が一望できます。旧海岸線と塩田開発された地域、そこには角山の麓の湧水を井戸によって治水した真水ラインが通っています。これは、日本一の塩田築造を行った久米通賢(くめつうけん)が、塩田とともに畑を耕作し生活者のための利水を考えて設計したものです。下山とともに、いざ通賢の偉功を辿ります。

ルンビニ幼稚園奥には水源地があり、角山の湧水を集めて大堀にしています。現在は手入れされていないのが残念です。これより北西に進みます。桜並木が取り囲む八幡池の北には立派な八幡神社さん。大きな鳥居が3つもあります。拝殿の木鼻は龍でしょうか?破風の鳳凰とともに白眼に塗られているのが珍しく思えました。

さらに西進するとビリケの井戸があります。ポンプ式で水を汲み上げることができます。ビリケとはアイヌ語を語源にしているようです。どんなつながりがあるのか、ちょっと興味津々ですね。

田尾坂公園でトイレ休憩の後、本街道を「地蔵もち」に向けて東進します。予約なしでは午後には売り切れてしまうほどの人気店ということで、CLに予約していただき「おこわ、草餅、白餅」をゲットできました。店頭にはおはぎがあり、これは次回のお楽しみにすることにします。

お餅を持って昼食場所の地神社へ向けて歩き出し、ほどなく右折すると緩く下り坂で、旧岸壁の石積み跡が道路右側の家の間に見られます。文政12年(1829年)久米賢通が築造した坂出墾田は、これより北側の海に造られました。石垣は、そのころの海との境の名残です。本街道辺りが当時の洲にあたり、最高地のため雨水はすべて北へ流れていくそうです。今の国道ともいえる本街道は防災を考えた立地だったんですね。

地神社にも井戸があります。角山→大堀→地神社の井戸→塩釜神社へと通賢が敷設計画をした水道は、後進によって見事完成されました。

お餅を食べて満足した後南進すると、大正9年に建てられた旧坂出商業学校の校舎を活用した坂出郷土資料館です。木造二階建てで大正建築の歴史的遺産です。青空に映えて威風堂々な感じでした。

鎌田共済会郷土博物館では、学芸員の方に説明をしていただき久米通賢の多才さを知りました。塩田築造のみならず、伊能忠敬と前後して高松藩地図を測量作図、揚水ポンプ・マッチ・後輪仕立て銃の発明、望遠鏡も自作していたなんて、凄すぎます。

鎌田醤油画資料館では松の木のりっぱな「はり」と欅の大黒柱、洒落た飾り窓に目を奪われながら、メインの醤油画を鑑賞します。醤油画なるもの、聞くのも見るのも初めてでしたが、どうやら弘法大師により中国から伝来したそうです。一つ賢くなりました(笑)

四谷シモン人形館は、芸術性が未熟な私には・・・でしたが、寄木細工の床や漆喰の繰型天井、調度品には目を見張るものがありました。

さて、醤油アイスを食べて濃厚な味を堪能した後は井戸巡り再開です。お次は薬師の井戸です。「薬師」には二つの意味がありました。一つは、薬師さん家の井戸なのです。今では飲水不可のようですが、先代まではおいしくいただいていたようです。東日本大震災の後に井戸水が濁ったそうで、地球の深いところでは繋がっているのだと改めて考えました。もう一つは、こんなお家はまたとない!家に薬師如来さまが鎮座されているのです。

大昔、南海道で暴れまわる大魚を天皇の命を受けて成敗しました。その大魚は福江で亡くなりましたが、その霊が祟りをなして国中にしばしば洪水や旱魃が起こったりしました。聖武天皇の時代に諸国をまわり、仏教の布教をつとめていた法相宗の行基法師(668~749)がこの地(福江)を訪れ、人々の難儀を救うためにまだ残されていた悪魚の白骨に火をかけ、その灰で「薬師如来像」を造り一寺を建立しました。そのお堂のことを「魚ノ御堂(うおみどう)」といわれています。その「魚ノ御堂」は天正年間(1573~1592)に長宗我に焼かれ、1609年に今の薬師宅の敷地内に再建されました。しかし、明治34年(1901)に商業学校が建設されることにより建物は、横潮神社の境内に移され本尊は薬師家に移され現在にいたっているそうです。薬師さんのお宅では今でも大魚の怨霊を鎮めるためのお薬師さんを大事に受け継いでお祀りしているそうです。脇を固めるのは日光月光ではなく、役行者でした!? 並んだ2体を見られるのはここだけしかありません。個人のお宅に12人もが押し掛けたにも関わらず、丁寧にお話ししていただけたのもCLの顔の広い人脈と人格のなせる業と感謝します。

〆の井戸は笠指の井戸です。今日は5つの井戸を巡りましたが、当時は20を超す井戸が作られていました。坂出の干拓に貢献し、人々の飲料水のために貴重であったと想像できます。

最後の楽しみは、鎌田池の桜。朝は3分咲き未満でしたが、1日太陽を浴びて5部咲きくらいに開花して私たちの帰りを待っていてくれました。

今日も盛りだくさんの山行と歴史探訪でした。角山は標高184mの割には登りごたえありました。自分の郷土を知ることはとても興味深く、小さな発見も多くあり、カフェやコロッケ屋さん情報も入手し、参加者同士のコミュニケーションも楽しく、実り多い1日でした。21,222歩も歩いていました。頭も目もお腹や足もそして心も大満足でした。これからも、街歩き山行は「皆勤賞」を目指して参加したいと思います。

 

「初桜 折しも今日は よき日なり」   松尾芭蕉

 

(記:T田)