2020/6/14(日)第二回 讃岐城跡巡り 昼寝城(さぬき市)

6月14日(日)第二回 讃岐城跡巡りとしてさぬき市にある 昼寝城跡に行ってきました。
リーダー:T下 参加者:S上ハ、Y関、Y木、In    計5名
前山ダム道の駅(ながお)駐車場9:20―――昼寝城登城口9:35/9:40・・・・・昼寝城跡10:15/10:50――――前山ダム道の駅(ながお)11:00/昼食12:35 解散
(距離:1.2km  歩行時間:1時間00分)

未明に耳元でプーンと音がして止まった。寝ぼけたまま叩いたが、自分のほっぺたをたたいただけだった。
外は小雨の音がしていた。起きて天気図の動きをみると天気予想通り上々。今日の行動を後押ししてくれるような前線の動きです。旧暦をチェックすると今日は旧暦の閏(うるう)4月23日であった。通常の年であれば旧暦5月であるが今年は閏に当たるみたいです。梅雨の間の一時の晴れ間の「五月晴れ」が生じる日です。しかも、午後3時以降はまた前線が南下する予想のため雨が降るのが見えています。私は、雨男なので今日の参加者の誰かのおかげです。
9時10分ごろ前山ダムの道の駅に到着すると全員揃っていた。ほぼ予定どおりに道の駅を出発して搭城口へ移動。

 

樹林帯の登り口に全員が吸い込まれ、昼寝城を目指す。標高差120mの簡単な山歩きであるが、急傾斜が続く。寒川氏が造った室町時代の詰めの城はどこからでも攻撃しても攻めるには難しいのがよくわかります。10分ほど登ると昼寝城の案内看板に出た。ここも狭いながら平地があり曲輪が形成されていたと思えるところだ。左奥の谷筋にも道が伸びており少し足を進めると木立の向こうに小さな滝筋が深い谷に落ちていた。苔むした登りづらそうな谷に見えた。ここからさらに傾斜は厳しくなり、足元は風化花崗岩のザラザラのところが多くなり登りづらい。山間部特有の階段地形が連なりどこも急峻な斜面があり見上げること、いつでも左上から石が落ちてきそうに感じる。登りだしてからおよそ四半刻(30分)で稜線の幅約2mの馬場に出た。

東西60mほどのひょうたん型をしています。すぐ西側の曲輪に小さな祠(寒川社)があった。

寒川氏の難攻不落の昼寝城は本当に昼寝をしていたのいか簡単に落とせた。遠方に瀬戸内海が見えるが木立が邪魔してどこだか判別がつかない。馬場に沿って東に出ると本丸の曲輪が残っていてそこに三角点の標識があった。俗称:昼寝山460mのピークです。ここから南東に矢筈山が見えます。昼寝城は、本丸も狭いが当時はこの本丸を中心として途中の傾斜地にいくつもの曲輪が守りを固めていたことが想像されます。築城年代はハッキリとしていませんが、嘉吉年間(1441~1444年)に寒川氏が築いたといわれています。寒川氏は代々寒川郡の郡司であったので寒川と称し、室町時代には長尾荘の地頭となり、その後細川氏の被官となって大内郡、寒川郡、小豆郡を領し虎丸城、引田城と昼寝城を築いて東讃で勢力を張っていた。1540年安富盛方が、1570年には三好長治が攻め兵糧攻めも行ったがいずれも落城しなかったと伝わっています。室町時代の弓槍の戦の時に詰め城として使った城も戦国末期まではあったものと思えます。1980年の発掘調査では城跡から白磁や陶磁器に銅環、銅製切り刃、多数の銅銭、砥石、玉石が発見されています。30分ほど留まってから下城も同じく四半刻かかって下りました。お昼は、注文していた靴下を物色してから昼食としました。道の駅で解散しました。

記録:T下